私のお話

私のお話 · 15日 3月 2023
母が元気でいてくれる幸せ
もうすぐ92歳の誕生日を迎える母です。弟夫婦がお花のプレゼントを持ってきてくれました。きれいなお花が大好きでうれしそうな様子をパチリ。私達姉弟の願いは、母が元気で幸せでいてくれる事に尽きます。    いろんなことを忘れてしまう母ですが、尊敬できるのは使う言葉が素晴らしい事です。朝起きてくると「私は本当にしあわせや、ありがとうね」と言います。毎日言ってくれます。食事を用意すると「おいしそう!珍しいのをありがとう」と必ず言ってくれます。もっと好きな物作ってあげたいと思います。   デイサービスから帰ってくると「今日も楽しかったよ。嫌な人が誰もいない。」と必ず言います。我母ですが、尊敬できるし自慢できる生き方だと思います。    私はこの母のように年を重ねる事が出来るだろうか!感謝を言い続けることができるだろうか!大きな課題です。    母は、はにかみながら「100歳までいけそうに思う」と言ってくれます。私達もそうであって欲しいと思います。
私のお話 · 01日 11月 2022
お遍路さん、今回も晴天でした。
四国八十八か所霊場巡りは5年計画です。今年春から始めて二回目となります。今回は讃岐路14か所を2泊3日で巡りました。今回は、目的がありました。お遍路さんをすると8月にすい臓がんで亡くなった中学校からの友人に会えるかもしれないと思ったこと。同じく中学校からの友人もがんで、手術前であったこと。   *もし錦のお札を貰えたらとてもご利益があると教えていただいた後、本当にいただけたのです。うれしかったです。無事手術も済み快方に向かっていると聞きました。ありがたい事です。   *現地の実態は歩いてわかるところがありますね。シャッター街や売りに出されている工場や崩れかけている町家等。空室対策の観点から考えさせられました。    *以外だったのは、うどん県なのでうどん屋さんが沢山あって毎日うどん三昧になると思っていましたが、歩く限りでは駅前しか見つけることができませんでした。   *これは余談ですが、スマホのマップが電波の影響からか、まったく機能せず、広い田んぼのあるところで少し歩くと矢印がクルッと反対向いてします。その度に紙の地図を見て方角確認をしていました。アナログを使える事も大切ですね。
私のお話 · 12日 10月 2022
お遍路さん、今回は香川県を歩く
25日から、四国八十八か所のお遍路さんの続きをします。前回は、徳島県を歩き1~23番札所まで行きました。今回は、香川県を歩きます。なんちゃってなので、しんどかったら電車も乗ります。   *徳島県では、装束も着ずに白のパーカーとパンツでしたが、一緒に行く友人が今回は、装束も着たいといわれました。私は、前のままでもいいかなと思っていました。   *今日、母の和ダンスを整理していて偶然に見つけました。父が75歳と78歳でお遍路さんをした時の装束です。一枚は、あの世への旅立ちの時にお棺に入れました。このタイミングで見つけたという事は、一緒に行きたいと言われているように思えました。洗っても汚れは消えませんでしたが、着ていきたいと思います。    *父が大きな愛情で今も寄り添ってくれている事を感じます。
私のお話 · 21日 8月 2022
焼き菓子工房 HAKU つるの菓
鶴ノ菓=HAKU    焼き菓子工房です。とにかく清潔な厨房(許認可済)で、良質の焼き菓子をお届けしたい。カフェに勤めながら休日に新しい焼き菓子を焼いています。< https://www.instagram.com/p/ChhgREDp0_g/?igshid=MDJmNzVkMjY= > 家族が始めた新しい試みなんです。毎回違う焼き菓子が産まれてきます。試行錯誤は約1年に及びます。毎週のように試食をしてくれた小学生からの友人達には感謝しかありません。これから、このページでも新作をアップすることもあるかと思います。私は、建築インテリアのお仕事を36年続けていますが、デザインして造って、結果を喜んでいただくという意味ではどこか似ていると思っています。人様の為に自分ができることをさせて頂けるのは、本当にありがたいことです。末永くご依頼いただけますようにと願っています。
私のお話 · 08日 8月 2022
昭和の子 大阪の子 
どう見ても昭和の子だとわかる写真です。父はこの写真で何かの賞を貰ったようです。そんな事もあり、子供の時の写真は結構多くあります。よく言われる事ですが、何故か二番目の子である弟の写真はあまりないのです。場所は大阪の阿倍野区で寺田町駅が近かったです。電線会社の検査部に勤めていた父と日曜日には、四天王寺さんや新築間もない阿倍野橋の近鉄百貨店まで良く行きました。その近鉄百貨店がハルカスに建て替わった頃、父は90歳の時に不慮の事故であっけなく逝ってしまいました。本人は93歳まで生きると予告していたのですが・・・。両親は兵庫県の出身です。私は大阪の子として成長し関西が大好きでここで好きな仕事をして家族と生きていけることがうれしいです。時々ラジオから聴こえるBOROの歌う”大阪で生まれた女”の歌詞には共感をしてしまうのです。それと無性に食べたくなるソース味のたこ焼き、お好み炊き、焼きそばと551蓬莱の豚まん。学生時代、土曜日には急いで家に帰り吉本新喜劇を見る。もう関西愛は止まりません!!ここだけの話ですが、長崎県五島列島出身のわが連れ合いには「わからん!」のだそうです(笑)